ラグビーに励む高校生が皆憧れる場所、花園。その舞台でグラウンドに立ち、母校の誇りを胸に戦うことを夢見て、実家から離れた強豪校への入学を志す選手も少なくない。流通経済大学附属高校に通う青木鴻志もその一人だ。
2003年8月、鴻志は北海道札幌市で生まれた。現在大学に通う姉と、4歳下の妹を持つ鴻志は、小さい頃から夜遅くまで友達と近くの公園で遊ぶことが多かった。放課後も活発に遊び回る元気な子だった鴻志がラグビーと出会ったのは、父・貴宏さんの勧めで地元の札幌少年スクールに体験に行ったときだ。
母・由美さんの兄が元日本代表選手だったこともあり「始めはやりたいっていうより、やってみろって感じでした」と、小学校1年の冬から練習に通い始めた。「最初はあまり楽しくなかった」と幼少期を振り返りながらも、ラグビー以外に野球や水泳を習っていたこともあり、他の競技と並行して楽しむようになった。
そんな鴻志が、将来の道にラグビーを選んだ背景には、中学2年の春、初めて北海道選抜に選出された経験が大きく影響していた。全国ジュニア大会に出場し、岩手県や群馬県などの選抜チームと対戦。「全国から多くの選手が集う大会でプレーできたことで、一気にラグビーが楽しくなりました」と当時を振り返る。全国ジュニアをきっかけに、より高いレベルでラグビーを続けたいと考えた鴻志は、中学3年の春に実家からは遠く離れた千葉県柏市の流通経済大学附属柏高校ラグビー部の体験会に参加した。体験会を終え実家に戻った鴻志は、流経大柏の当時の練習の雰囲気に憧れ、高校進学後は親元を離れる決断を下した。
「こっち(=千葉)でプレーした方が周りの選手のレベルも高いし、お互いに刺激しあってどんどん成長していくのがわかる。そんな場所でラグビーを続けたかった」と熱い眼差しで語った。両親がこの決断を後押ししてくれたのも大きかった。
流通経済大学柏高校の門を叩き、ラグビー部に入部した鴻志がまず取り組んだのは「体づくり」だった。そのきっかけとなったのが「スキルはあっても試合には出さない」という監督の言葉だった。「確かに自分でも通用しないと思って、体重増やさなきゃいけないと思いました」
素直に課題を受け止めた鴻志は徹底的な体づくりを行動に移す。毎朝6時に起床し、すぐにウエイト場へ。平日の始業前に毎日「朝ウエイト」に取り組むことを習慣化した。単純に体重を増やすためではなく、筋肉量で増量を図るために継続して体を追い込んだ。さらに、朝昼夕の3食に加えて、2回以上の補食も摂取する食事管理も実施。これらの努力は年月を経て実を結び、入学時は58kgだった体重も、高校3年になる頃には70kgを超えていた。体重が増えるとともに試合に出場する機会も多くなり、2年時からは練習試合をはじめ県予選にも出場。春の選抜ではチームの中心選手としてバックラインを牽引した。
「最も印象に残っている試合は?」という質問に対し、即座に「全国選抜の初戦(vs大分東明)」を挙げた。鴻志にとって初めての全国大会。流経大柏を進学先に選んだ日から夢見続けていた舞台だった。初めての全国大会で、初めてスターティングメンバーとして試合に出場。15番のジャージの重みに緊張しながらも「結構楽しめたと思います」と笑顔で振り返った。
全国大会デビュー戦とは信じ難い活躍が目立ったこの日、アタックでは得意なランでグラウンドを縦横無尽に駆け回った。一方のディフェンスでは「裏のスペースを守るスキルがまだまだ足りなかった」と自身のパフォーマンスを見つめ直し、「負けてるときや風下にいるとき、不利な状況でいかに戦うかっていうところにフォーカスして練習していきたいです」と課題の克服を誓った。
新型コロナウイルスの影響を受け、満足のいく練習ができない期間を乗り越えながらも、鴻志はシーズンを見据えて着実に成長を重ねた。秋にかけては本職だったフルバックに加えて、スタンドオフとして試合に出場する機会も多くなり、得意のアタックでチームを勢いづけた。県予選決勝では「キックゲームは練習でやった通りうまく敵陣に入れてたかな、と思います」と手応えも掴み、自身でも評価した「いいイメージのアタック」に繋げた。
県予選を順調に終えた流経大柏はBシードを獲得し、花園出場を決めた。最後の大舞台を前に、鴻志の準備にも念が入る。
ここまでラグビーを続けてこれたのは「親のおかげ」とまっすぐな目で答える。高いレベルでラグビーに励むのも、日々の努力を惜しまないのも、鴻志にとっては「家族のため」だから。中学3年で実家を後にし、年に2回の帰省時以外は離れて暮らした時間が、鴻志に家族の支えのありがたみを教えてくれた。
実家から遠く離れた地で積み重ねたものを、見てほしい。一生懸命ラグビーに取り組む姿を、見てほしい。この思いを胸に、鴻志は最後の花園に臨んだ。