キャプテンとは。その定義は個人やチームによって様々なものがある。明日、全国大会の初戦に臨む高校生 の中にも、チームとして目指すべき地点を見据え、自分の成⻑はもちろん、チームの成⻑を 導き続けてきたキャプテンがいる。茗溪学園の高橋佑太朗だ。キャプテンに任命されてから 約1年間、佑太朗が乗り越えてきた数々の困難とその努力を追った。
ラグビーと出会ったのは 14 年前。父・正志さんもラグビーをやっていた影響から、千葉県の八千代RFCに通い始めた。初めの頃は「泣きながらやってたし、無理やりでした」と良い思い出ばかりではなかった。しかし、静岡県に引っ越した後もヤマハラグビースクールでラグビーを続け、幼馴染も通っていたことから次第にスクールに通うのが楽しくなり、夢中になった。
そんな佑太朗が小学校5年生になった夏休み、当時中学1年生だった姉・李実さんが通っていたラグビースクールが茗溪学園と試合をする機会があり、佑太朗も観戦に足を運んだ。
そこで佑太朗は初めて茗溪学園伝統のアタッキングラグビーを目にする。
「全員が走りまわっているイメージで、見ててすごく楽しそうだった。特にアタックに惚れました」縦横無尽に駆け回り、見事な展開ラグビーを繰り広げる当時の先輩たちを見て佑太朗は大きな決断を即決。その場で両親に「茗溪に行きたい」と伝えた。
中学受験を終えて、茗溪学園に入学した佑太朗はウイングとして起用された。自分たちで練習メニューを組む自主的な指導の下、練習ではタッチフットをやることも多く、憧れていた展開ラグビーにどんどんのめり込んでいった。中学2年からはスクラムハーフとしてプレーするようになり、2年時から全国大会である太陽生命カップのメンバーにも登録された。
本格的にラグビーと向き合い、色々なことを考えるようになったのは高校に入学してからだった。特に最初の1年は「めっちゃプレッシャーのかかった1年」だったと振り返る。当時のスクラムハーフは、U17日本代表や高校日本代表など、世代別の代表にも続けて選出されていた大越勇気(現・明治大2年)だった。さらに、2年生にもスキルの高いスクラムハーフの選手がいたため、内心「(今年試合に出る)機会はあまりないかな」と思っていた。しかし、練習試合でのパフォーマンスが評価され、1年時の菅平合宿からAチームで起用された。
高いレベルの試合に出られることは嬉しかったが「(大越)勇気さんの代わりが本当に自分でいいのか…」と感じる時期も長く、自分にその大役が務まらないのではないかと悩んだ時期もあった。
1年目を終えて迎えた翌シーズン、佑太朗はレギュラーに定着した。9番を背負うようになったことで、改めて自分のパフォーマンスを見つめ直す、いいきっかけができた。「1年の時は勇気さんに似せたプレーをしようって頑張ってたんですけど、自分のプレースタイルを見出したくなったっていうか。勇気さんは自分で仕掛けるよりもパスのテンポを上げて味方生かすタイプの選手だったんですけど、自分は乱れたラックからクリーンな球出しをするのが苦手だったので、パスよりも自分で仕掛けて(ディフェンスを)崩すことを意識しました」このプレースタイルの変換をきっかけに自分でもディフェンスの間を仕掛けていくプレーがとても楽しくなり、佑太朗のパフォーマンスは右肩上がりに伸びた。
2度目の花園を終えて最上級生となった今年。キャプテンに任命されたと同時に、自分がどれだけ先輩たちに頼っていたかを痛感した。「これまでは先輩たちに支えてもらいながら伸び伸びラグビーと向き合えたので、逆に今年は後輩たちをリラックスさせてあげなきゃいけない年だな、って思いました」
スクラムハーフとして茗溪の展開ラグビーを支えるため、視野を広げ、早い判断のもとで自分がアタックの起点になることはもちろん、佑太朗にはキャプテンとしての重圧も重くのしかかった。
初めの頃は自分ですべてのタスクを片付けようとしてしまうことが多かった。しかし、「(自分1人で抱え込んでおいて)それでキャプテンって辛い、っていうのは違うと思ったんです。それからは、もっと周りの仲間を信頼して、自分だけの意見じゃなくて、みんなの意見を聞きながら(行動に移す)っていうキャプテンを目指すようになりました」
佑太朗が理想として掲げるキャプテン像に近づくため努力していることはチームメイトも感じていた。少しずつキャプテンとしての佑太朗のあり方がチームにも浸透し、周りから信頼されるリーダーとなっていった。
新型コロナウイルスの影響で、思うように練習ができなかった自粛期間も、佑太朗はチームをまとめた。自分自身もランニングや自重のトレーニングに励みながら、2日に1回はチームミーティングを実施した。戦術の確認などを通して、オンラインではありながらもチームメイトと顔を合わせる時間を持つことが重要だと考えた。他のリーダー陣とも様々な話を交わすようになり、花園予選を見据えたプランニングを徹底した。
そして迎えた最後の全国大会予選。少しの間怪我で離脱していたこともあり、佑太朗にとっては久しぶりの試合となった。「少しバテてしまった部分はあったんですけど、楽しくプレーできました」と笑顔で振り返ったこの試合、茗溪学園は日立第一を102-0で下し、花園出場を決めた。「去年からメンバーに入っていた選手が少なくて、初めて公式戦に出るメンバーが多かったので初めは硬くなっちゃったんですけど、(アタックで)取り切る部分は取り切れたし、何よりも今年メインにやってきたディフェンスはちゃんとできたので良かったと思います」と確実な手応えを掴みながら、先の全国大会を見据えた。
12月4日、第101回全国高校ラグビー大会の組み合わせ抽選が行われ、初戦の相手校は報徳学園に決定。全国が注目するノーシード校同士の好カードとなった。明日、佑太朗の率いる茗溪学園は伝統のアタッキングラグビーで多くのスピードスターが揃う報徳学園に挑む。
相手がどこであれ、やらなければいけないことは同じ。ラグビーに対する佑太朗の軸はブレない。
初めは泣きながら通っていたラグビーも、今では楽しい。ラグビーを勧めてくれて、茗溪にいかせてくれた両親にも感謝している。「飽き性だからあんまり色々なことは続けられなかったけど、ラグビーだけはハマって、結果も残せてきている。今は『ラグビーが好き』っていうのが一番のモチベーションだと思います」
約1年間続けてきた取材の最後に、佑太朗は「自分が動けなくなるまでラグビーは続けたい」と語ってくれた。茗溪学園でのラグビーは、佑太朗の将来あるラグビー人生のほんの序章に過ぎない。それでも、中高6年間を共にした仲間たちとラグビーができるのは今年の花園が最後になる。
憧れたアタックの起点として。そして、チームのキャプテンとして。
誰もが注目する明日の一戦に、佑太朗はすべてを懸けて挑む。