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 日本一。すべての選手が目指す頂に到達できる選手は多くない。そんな中、中学時代に初めて全国制覇を成し遂げ、花園でも同じ景色を見るべく努力を重ねてきた選手がいる。東福岡高校の西野帆平だ。高校でも日本一を獲るため、親元を離れて東福岡に進学することを選択し、毎日の練習に汗を流した帆平の高校ラストイヤーを追った。

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 2003年5月、帆平は大阪府岸和田市で生まれた。今の明るい性格からは想像できないほど泣いていることが多い子どもだったが、ご飯を食べる時だけはピタッと泣き止む子だったという。

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 そんな帆平がラグビーと出会ったのは、幼稚園年中の頃。実際にプレーしていた訳ではないがラグビーが好きだった両親に勧められ、堺ラグビースクールに体験に行った。幼い頃から体も周りよりは大きい方で、初めて楕円球を持った時からラグビーが楽しくなった。体験練習後も「続けたい」と思い、翌週から練習に参加した。

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 中学に入ると、文武両道で忙しい日々が続いた。塾に通いながら、バスケ部の練習もこなし、週末はラグビーに励むスケジュールを送っていた。勉強にも力を入れていたため、どれかを疎かにすることなく、すべてに全力で取り組んだ。

転機が訪れたのは中学3年。新チームとしてのシーズンが始まってからずっと「太陽生命カップ優勝」を目指して練習していた。その目標としていた舞台に出場することができ、シーソーゲームとなった厳しい決勝戦を勝ち切って、日本一の座を勝ち取った。「大阪予選と関西予選の時から完封勝利してて、その時はあんまり実感わかなかったんですけど、嬉しかったです」と今でもその喜びを忘れることはない。

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 進学先の高校を決めるときも、この太陽生命カップの結果は大きかった。大阪に住んでいた帆平は、小さい頃から花園にも足を運び、高校ラグビーの応援に行っていた。中でも東福岡への憧れは強く、毎年応援していた。そんな中、中学時代に通っていたアウル洛南の先輩が東福岡を紹介してくれた事もあり「高校でも日本一になりたい」という強い思いのもと、進学先を東福岡に選んだ。「日本一になれるチームを探していたし、東福岡のように日本一を狙える環境に身を置きたかったんです」と、今でも初心は忘れていない。

 入学後は1年時からAチームの試合にも出場した。しかし、全てが順風満帆だったわけではなく、中学時代と大きく変化したスピードレベルやコンタクトレベルについていくのが大変だった。明らかな実力差を感じながらも必死に食らいついたが、シーズンに入った冬に足首を捻挫してしまい、戦線を離れた。

 

 年が明けた2シーズン目は怪我もなくAチームに定着。1年前の花園でも試合に出場し、憧れだったモスグリーンのジャージで花園の芝を踏みしめた。昨年初めて出場したときの花園は異例の無観客開催。「少し緊張はしたんですけど、(当時の)3年生とできるラグビーが楽しかったんで、楽しむことに専念できました」

 準々決勝で対戦した東海大大阪仰星とは熾烈な攻防が続き、ロスタイム18分にも及ぶ激闘を繰り広げた。抽選の結果、準決勝にコマを進めることができたが、選手として出場する花園の厳しさを知る経験ともなった。

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 そして迎えたラストイヤー。新型コロナウイルスの影響で満足のいく練習ができない中、自分たちの代こそ「日本一」を狙える自信があった。しかし、2月に行われた石見智翠館高校との定期戦では試合中に自分たちのペースを掴めず、敗れた。「この敗戦があったからこそ、今年(の東福岡)はここまで強くなれてると思います」と帆平は振り返る。実際にこの試合に負けた事で選手たちの練習に対する意識も変わり、チーム全体が締まった状態で全国選抜に臨むことができた。

 

 今年春に行われた全国選抜大会では、どのチームも準備不足が目立つ中、東福岡は自慢のフィジカルとグラウンドを大きく使ったラグビーで大量得点を重ねる。準決勝以降もその得点力が弱まることはなく、決勝戦では連続優勝が懸かっていた桐蔭学園を下した。遂に高校でも「日本一」を手にすることができ、チームの自信にもつながった。

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 そして冬。花園への切符を手にするため、チームは「ディフェンス」をテーマに花園予選に臨んだ。いくら得点力があっても相手が強くなると、得点を許してしまう機会も多くなる。全国選抜を終えて、チームとして痛感した課題だった。

 しかし、花園予選では練習の成果が如実に現れた。チームのパフォーマンスは右肩上がりに伸び続け、決勝戦は攻守ともに躍動した。結果も全試合シャットアウトで無失点に抑え、自分たちで決めたフォーカスを全うした結果となった。

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 最後の花園を見据えて、帆平は東福岡での3年間を振り返った。

 

 「入学前は(東福岡に)ラグビーをしにいくっていうイメージでした。でも、藤田先生から『男としてそれはどうなのか?』とか、小さいことを積み重ねていけば大きなことを成し遂げられる『小事大事』っていう話をしてもらう事も多くて、最初は自分のことしか頭になかったけど、ヒガシに入ってからは視野も広がったし、人間力も高められたなって思います」

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 帆平にとってラグビーは「人生の中心」

 

 「ちっちゃい頃からラグビーやってるし、これからも続けていくと思うから、ラグビーなしやったら今の自分はないと思います。ちっちゃい頃から周りにラグビーできる環境がなくて、両親にも遠いところまで車で送り迎えしてもらって、支えてもらってきたんで、家族に恩返ししたいなっていう思いもあります」

 

 小さい頃から憧れた花園で、憧れのジャージを身に纏って躍動できるのは今年が最後。これまで支えてくれたすべての人への感謝を胸に、再び「日本一」の景色を掴み取るため、帆平は戦う。

(敬称略)

 

文:ESC Academy

​画像:*本人提供

※一部他サイトからの引用含む

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ESC Academy 密着取材ドキュメント

西野 帆平

PR/HO

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〜 すべてはつの目標だけのために 〜

東福岡

Hanpei Nishino

あの景色をもう一度

Message

支えてくれる方々からのメッセージ

母・友絵さん

時は来た。全部背負って全国制覇!

帆平がお腹にいる頃の元旦。

初めて花園でラグビーを観ました。

後半ロスタイム逆転勝利。

あまりの感動で、スポーツを観て初めて泣きました。

それがモーレツに伝わったのかな?

4歳でラグビーを始めて、

家族全員がラグビーにどっぷりハマって14年。

おかげで最高の人生を歩ませてもらってます。

『岸和田生まれ HipHop育ち 悪そな奴は だいたい友達』

時は来た。

東福岡 全部背負って 全国制覇

いてこまして下さい!

幼馴染・武田幸大さん

​帆平と一緒にできる最後の大会

帆平は何事にもまっすぐ真面目に取組みます。グランド内で見せるオーラや迫力とは裏腹に、絵を描くのが上手かったり、お菓子作りが得意だったりと、見た目からは想像できないくらいとても可愛らしく器用な性格です。

 小学校3年生の時に出会い、同じクラブチームに所属し、5年生と6年生の時には全国大会で準優勝を経験する事ができました。高校はまた一緒になろうと約束し、中学3年間はそれぞれ別の中学へ進学しました。現在は(東福岡で)同じ高校の寮生として、共に花園での優勝を目指しています。 日の厳しい練習や学校生活の日々一つ一つが経験となり、かけがえのない思い出になると思います。

 見た目は出会った頃とあまり変わらず、そのまま大きくなったなというイメージです笑しかし、今では東福岡のFWリーダーとしてとても頼もしい存在となり、同じチームメイトとして友人として誇りに思っています。

 

 帆平は常に余裕があるように感じます。 定期考査前に焦って勉強することがなく、試合前も緊張をみせず笑顔で過ごします そう言った感情を表に出さない所が彼のかっこいい所であり僕の尊敬する部分でもあります。

帆平と一緒にラグビーができる最後の大会である花園に、東福岡で過ごした3年間の集大成をぶつけたいと思っています。 彼のアグレッシブかつ華麗な動きに注目してください!

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