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 全国大会3連覇。すべての高校生が夢見る日本一の栄冠を3年連続手にするため、今野椋平は人生最後の花園に挑む。大切なのは「自分のすべきこと」にこだわりを持つこと。「個が責任を果たした先にチームの勝利がある」と本人は語る。

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 2003年11月、神奈川県横浜市の実家で生まれた椋平は幼稚園から現在まで桐蔭学園に通い続けている。ラグビー部に入るために外部から入学してくる部員が多い中、幼稚園からの内部進学で試合に出場し続ける選手は珍しいパターンだ。

椋平がラグビーを始めたきっかけも、桐蔭学園からの友人の誘いだった。幼い頃は控えめな性格だったが、友人からの誘いを受け、地元の田園ラグビースクールで初めて楕円球に触れた。当時5歳だったその日から、椋平はラグビーを始めることになった。

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 しかし、最初の頃のラグビーは楽しいものではなかった。毎週日曜日の練習も「ヘッドダッシュやランパスなど走り込むメニューが多くてキツかった」「そんなに楽しめてはいませんでした」と振り返る。テニスや水泳など他の習い事に多く通っていたこともあり、「ラグビーを辞めたい」と両親に相談した日もあった。精神的にも苦しんでいた椋平の相談に母・美里さんは「辞めるのは自由だし、自分の判断でいいけど、もう少し続けてみたらなんかいいことあるかもよ?」と提案してくれた。この一言が椋平の後の人生に大きな変化をもたらしたのかもしれない。

 悩んだ末、翌週もスクールの練習に向かうと、優しかったコーチが励ましてくれた。この日から少しずつラグビーを楽しく感じるようになり、スクール以外にも桐蔭学園の友人と地元のラグビーパークに参加するようになった。

 

 中学時代は田園ラグビースクールを離れ、桐蔭学園中学校に主登録の籍をおいた。中学2年からチームの中心選手として活躍し、最後の大会となった東日本大会では3位に入賞して中学ラグビーを終えた。

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 ところが、そこまでのラグビー人生は序章に過ぎず、椋平が本格的にラグビーと向き合い始めたのは高校に入学してからの日々だった。高校入学後、椋平は当時から全国屈指の強豪だった桐蔭学園の厳しさを目の当たりにする。「練習についていくのが精一杯で、コンタクトが本当に嫌でした」「週3回のコンタクト練習がとても憂鬱で、大学生との合同練習で当たり負けて指摘を受けることもありました」

 しかし、全国トップレベルの先輩方に囲まれながら椋平は着実に成長の道を進んだ。過酷な夏合宿も乗り越え、初めてとなった1年時の花園にも出場した。

「試合前日まではなんともなかったのに、浦和高校との試合前にめちゃくちゃ緊張したのを覚えています」スタンドオフという重要な役職を任されながら、観客で埋め尽くされた憧れの舞台で花園デビューを遂げた。その後もチームは主力選手たちを中心に躍進を続け、決勝戦までコマを進め、僅差の決勝戦を制した。桐蔭学園史上初の単独優勝。これが椋平にとって初めて日本一を掴んだ瞬間だった。

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 翌シーズン、春先は苦しい期間が続いた。スタンドオフとして「ゲームメイクの指示が遅い」ことを指摘され、AチームとBチームを行き来することが多くなった。「練習だとうまくいくのに、試合でなかなかうまくいかなかったんです」たとえルーキーながら日本一に貢献した選手でも、パフォーマンスが上がらなければ試合には出られない。強豪校の厳しさを身をもって痛感した。

 

 その後、前もって指示を出すことを意識し続け、秋にはポジションにも定着した。県予選も順調に勝ちきり、椋平は再び花園の舞台に立つ。無観客の会場は1年前に緊張した景色とは全く違うものだった。「2回目っていうのもあって、あんまり緊張することなく落ち着いてプレーできました」その言葉通り、3年生の中心選手に劣らぬ活躍でチームの勝利に貢献し、チーム史上初の花園2連覇を達成した。

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 最上級生として迎えた今シーズン。年が明けてからは新型コロナウイルスの影響もあり、春の全国選抜大会に向けては十分な準備ができなかった。「史上初の4連覇とか言われてたけど、プレッシャーを感じるとかは全くなくて、自分たちは頑張ろうって感じでした」と当時の心境を振り返る。「本当に準備できずに臨んだから最悪な状態だったんです」しかし、試合が始まるとチームはいつものペースを掴み始める。小さなエラーが続いてしまう時間帯がありながらも焦ることはなく、ランナーを生かした得意のアタックで点数を重ねていく。「チームの雰囲気も良くて、勝ち上がっていけたので良かったです」4年連続で迎えた決勝戦。圧倒的なフィジカルを誇る東福岡を相手にチームは前半から点差を離される。苦戦を強いられながらも後半にカウンターを仕掛けて巻き返したが、スコアは届かず春の全国選抜は準優勝に終わった。

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 新型コロナウイルスの影響で満足のいく練習ができない中、夏合宿も短縮された日程で実施された。例年とは異なりチームの強化が難しい状況を鑑みて、椋平は改めて「個の力を磨く重要性」に焦点をしぼる。

 

 花園予選はコンディションの都合上、初戦と決勝戦の2試合のみ出場した。東海大相模との決勝戦を振り返り「ジャッジ(試合中の判断)とキックスキルがまだまだです」と課題を明確にする。「ジャッジの部分はスタンドオフとしてもセンターとしても必要なスキルなので、ゲームプラン通りうまくいかないときに、どうやって攻めていくのかを突き詰めて準備していきたいです」「キックスキルは特にコンバージョンキック。得点に絡んでくるところなので責任を持ってやりたい」と花園に向けて克服していくプランも細かく立てていた。

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 チームとして臨む最後の花園。幼稚園から通ってきた桐蔭学園での時間も刻々と終わりが近づいている。1年生の頃は憧れの場所だった花園も、今年で3回目。緊張を背負いすぎることなく「最後は楽しんでやりたいです」と笑顔で先を見据える。

 

 1年時から出場してきた中心選手として、自分のタスクを徹底的にこなしながら余裕を持ってプレーする。周囲の雑音に惑わされることなく、椋平は前を向く。

 

 自分のやるべきことをこなすだけ。その先にチームの優勝を見据える。

(敬称略)

 

文:ESC Academy

​画像:*本人提供

※一部他サイトからの引用含む

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ESC Academy 密着取材ドキュメント

今野 椋平

SO/CTB

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年間の経験をチームの推進力に 〜

​桐蔭学園

Ryohei Imano

自分のやるべきこと

Message

支えてくれる方々からのメッセージ

親友・佐藤凜弥さん

必ず連覇を達成してほしい

 私は、高校3年間今野椋平くんと同じクラスでした。私が思う彼の凄いところは、実力はもちろんなのですが、ぶれない心と継続力だと思っています。

 

 彼が高校1年生の頃から花園に出るほどの実力の持ち主だということは言うまでもないですが、彼は毎日誰よりも早く学校に来て雨の日でも練習していました。登校する時に毎日その姿を見ていて当時、硬式野球部に所属していた私はとても刺激を受けていました。

 

 彼は高校3年間を全てラグビーにかけているように感じます。ラグビーのために、食事をとり、勉強をし、とラグビーがしやすい環境を自分で整えていました。

 

  そんな彼が率いる桐蔭学園ラグビー部には、必ず花園3連覇を達成して欲しいです。今野くんのキックと突破には注目したいです。

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友人・紀田圭祐さん

優勝目指して悔いのないように!

 彼とは、受験期に同じ目標に向かって切磋琢磨して、お互いを高め合っていました。初めて会った時は、ラグビーで沢山の輝かしい実績を持っていて、感心しました。

 しかし実績があるからといって大きな態度を取らず、最初はとても謙虚な人というイメージがありました。そして会話を繰り返していくうちに、フレンドリーで誰とでも仲良くなれる性格であることがわかりました。人の話を聞くのが上手なんだと思います。

 そんな彼は、出会った頃と今も変わらず、目の前のことに一生懸命に取り組み文武両道を貫いていると思います。出会った頃から成長したことは、コミュニケーション能力が上がって、人と話すのが今まで以上にさらに上手くなっていました。初対面の人でも気付いたら打ち解けていて、場の雰囲気を一瞬で変えていました。

 花園は、彼の最後の高校の大会だと思います。今までの努力は決して裏切らないから、優勝目指して悔いのないように頑張れ!!

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